鮨を知る
2021年9月23日
元来すしダネにならない魚として江戸時代は扱わなかった。 何故だったのだろうか? 江戸っ子好み魚。初カツオを一尾2両(12万円~16万円)でも買ったのにすしダネに用いなかったのは不思議であった。 握りすしが創案された当時は、魚介類は全て塩で〆て、酢、醤油にくぐらせていたので、カツオは変色が早いので無理してすしダネにする必要がなかった。 まぐろと似たカツオは下魚であったからである。
最近は季節感が崩れている。物と言えば9月~2月までコハダ。3月~4月サヨリ。初夏の5月~6月はキス。真夏の7月~8月はアジ。しかし一年中魚市場にコハダがあるからすし屋は仕入れする。アジも同様である夏にコハダを漬けるすし店は昔は無かった。勿論魚市場にも無かった。夏場の光ダネはアジが最高に美味しい旬の魚は安くて美味しい。現在アジの酢〆するすし店は少なくなった。昔のように甘味のオボロをかませるすし屋があってもいいのではないか。
(現在酢のきき過ぎたアジはオボロをからめると良い)アジのゼンゴは必ず包丁をいれ身をつけずにそぎ取っていく技術は今は必要としない。 それは全てアジは生で握るのが主流なので皮をむくもとなっているからゼンゴを そぎとる必要が無いからである。
これも時代のニーズであろうか?
茹イカはスルメイカ(呼称ジルマ)が一番旨い。 最近のお客は柔らかいアカイカ(バカイカ)の方を好むようだ。 アカイカは身肉がしまり(歯応え)がない。 ジルマイカを切りつけた後、甘酢漬けにて供してみよう。 適度の堅さ(歯応え)が「すし通」には応えられない旨さである。
「いか印籠漬け」 江戸時代後期から昭和20年代頃まではどこのすし店では漬けておりましたが お客様の生趣向が今日の「いか印籠漬け」をすし店から姿を消しまった 江戸前の寿司です。
江戸時代は珍しい物を句にするのは、川柳の独断場である。
◆先々の時計となって小商い
◆鯵のすふこはだのすふと賑やかさ
◆けちな鮨コハダの皮に飯を張り
◆握られて出来て食い付く鮨の飯
◆鮓見世 評判はよしののさくら鯛すしのされば買人もおしかけてくる
◆妖術といふ身で握る鮨の飯
これは江戸の握り鮨を詠んだ最初の句である。 妖術使いが左手の掌(手のひら)に右手の指を二本包み込んで握り、呪文を唱える印形と、 鮨職人がシャリを左手の掌に握り、その上にタネを乗せて、右手二本で抑えるように握る 形状の類似性を目新しく、珍奇さを句にしたのである。 文政年間(180年前)のコハダ、アジ一個4文(80円位)で安価なものであった。 寺社のお賽銭が12文(240円位)であるから当時の鮨は低廉であったかが判る。
当時の身分の高い武士階級や裕福な商家の人たちは、決して外食をしなかった。 外出の際には弁当を持参し、あまり長くない外出では帰宅してから昼食を摂るのが通例である。 食い物屋に入って物を食べたり、行商人から食物を購入したりすることは、下賎の者が行なうことであると信じきっていたのである。特に女性は一生、外食などは無縁であった。
当時の売食産業は零細な「ボテ振り」経済的にもギリギリで、その日その日を暮らしている。長屋住まいの庶民達は、安価で滋養のある食品を求めていた。その需要に応じたのは「ボテ振り」と俗称された行商である。町々を経巡り、長屋の中まで入り込んで、庶民の生活の必需品を、天秤棒で担って売り歩いた。毎日、同じ時刻に々町並みに来る行商もあり、住人からは「ああ、豆腐売りが来たから、六つ半だななどと、時計の代わりになるのである。
1804年に熟成させた酒粕だけを原料にして酒粕酢が出来た。 1810年頃、江戸前ずしは、この酢と出会ってはじめて隆盛の一途をたどる。 それまでは酢といえば米酢だけだった。昔の酢は杉の樽に入っていてコクあった。 米酢のように酪酸臭のない酢よりも江戸時代の強い香りのする酒粕酢の方が旨い。酒粕酢での合わせ酢は熱すると匂いが確かに強い香りがする。
「すしの旨さとは、その熟れた味にある。すしの基本的味が熟成にあることは明らかである。 古代のすしの面影を残していると思われる近江のフナずし、岐阜のアユずしは、 重石によって熟成され、京都のサバずしは竹の皮とスダレで締めることにより、 大阪ずしは木箱でおすことによって熟成される。江戸前ずしは掌(てのひら)から伝わる温度と、 握るという押しによって,江戸前の握りずしは熟成されるのである・・・・・。」
押しずしは握りずしの原点。押しずしは押してタネと舎利を馴じませている。握りずは手のひらで馴じませる。職人はシャリの型を作りながらシャリ玉の中は空洞にしてソフトタッチで握る。だからタネに味(煮る、焼く、酢〆等)を漬けてないと馴じまない。(生魚でも下処理してあれば良し)
「与兵衛」が大正12年の大震災まではマグロのような下司魚 を握らなかった。そのマグロが今日常人の口に入りにくい。世の嗜好の変化は 恐ろしいものだ。
◆鯛ひらめいつも風味は与兵衛ずし買手は店に待って折詰
◆こみあいて待ちくたびれる与兵衛すし客ももろとも手を握りけり
酸くして呼ぶ、鮨売りの声。夕闇がしだいに迫って来る頃、吉原遊郭内の道々を鮨売りは、「ぞめき客」(登楼する当てはない が、何となく廊内をそぞろ歩きしている男たち)の間を縫うようにして売り歩く。
◆先々の時計となって小商い
◆鯵のすふこはだのすふと賑やかさ
◆けちな鮨コハダの皮に飯を張り
◆妖術といふ身で握る鮨の飯
◆握られて出来て食い付く鮨の飯
◆鮓見世 評判はよしののさくら鯛すしのされば買人もおしかけてくる
穴子を煮るのに相性の良い鍋、落し蓋使い尽くされて、もうお役ご免の代物。穴子煮あげの主役は「敷きザル」。霜降り、水炊き、味付けと3工程の作業の為敷きザルが不可欠。
縦に幾筋も切り込みをいれて、オボロをはさんで握る。昔の仕事である「滝川」と言う。 寛永二十年(1643年)、滝川宗右衛門が、丸木流しの通行障害となっていた 寒狭川(かんさがわ)(愛知県豊川市)の大巌盤(がんばん)を切開した結果、 木材の流通が容易になったばかりか、遡上する鮎も増加したのであった。 これにより、領主が瀧川家に跳躍し溯上する鮎を、竹竿の先に付けた笠網で瀧壷で待ちうけて、 アユが空中に飛躍する一瞬にこれをすくい獲る漁法を「永代支配」のお墨付を与えた。
斬目正しく紅白に盛る 江戸末期の嘉永年間(1850年代)の刺身について様子であるが江戸では祝賀の時に鯛の刺身、普段は鮪や鰹の刺身を食べていた。 冬にはヒラメの刺身を食べ、ヒラメや鯛の白身の刺身と、鮪の赤身の刺身を皿に盛り並べ、「作り合わせ」と称して、その色合いも楽しんだ。 江戸では魚肉を乱切りにせず斬り、斬目正しく紅白に盛り、正列に並べること。 鯛やヒラメには辛子味噌や山葵醤油を付けて食べ、鮪や鰹は大根おろし醤油を付けて食べた。 添え物は、糸切大根、糸切うど、生紫海苔、生防風、姫たで、黄菊、おご、大根おろし等を添えた。現在と同じである。
サッと軽く酢にくぐらせてから昆布〆したサヨリを8真一文字に握り、淡白なゆえにチョットおぼろをのせる。 酢の効いた粋なコハダ(小肌)は包丁の切れ目が2本入り、シャリにおぼろをかませて握る。 酢〆した鮨はおぼろが決めて、おぼろは江戸前の鮨にはつきものだ。 海老でオボロの仕込みをする
1. 材料を混ぜる。 エビ80g をミンチに入れてすり合わせる 塩・味醂・酒・醤油数滴・大和芋・サラダ油 加えてミンチにかける。 鶏卵の黄身12個をミンチにかける。 大きめなボールに入れ移し変える
2. メレンゲを作る(常温の新鮮な鶏卵) 卵白5個(鮮度が絶対的条件)そこに砂糖60gを3回に分けて入れる。 砂糖は初めから入れると材料の弾力を失うので、必ず最後に入れる。
3. 1、の材料に少しづつ 2、の泡立て卵白の材料を混ぜ合わせる。 最初の1回は良く混ぜ合わせる。2回目は空気が入るので軽くてよい。
4. 玉子鍋(ケラ鍋)を顔の近くに寄せて熱くなっていたら、脱脂綿で、余分な油をよくふき取る。
5. トロ火で焦がさないように焼く(約30分)
6. この間空気を抜く作業がポイント(竹串でクルクルと良くかき混ぜる)
7. 次に玉子鍋を表の面を火にあてる約25分間。(焼き物機)
8. 25分間火の位置を変えながら焼く両面で55分の時間をかけて焼きます。
①緑色していてさわやかな香りと甘さがある
①キズや黒ずみがないもの②頭部も先端も細くなく、円柱形に近いもの③緑色が濃くみずみずしいもの
①流水で洗い皮をむかない②頭部すなわち茎の方がみずみずしいく新鮮なので③「の」の字を書くように
①1週間以上保存する時は表面の水分をふき取って密閉し(ラップ)冷蔵庫へ
カスゴ(春(かす)小鯛(ごたい) 「カスッコ」=「末っ子」とはタイの中で形が小さく幼魚なのでこうなぞられた?また、春日神社からなぞられたとも言われております。 春の時期に一番出回ります。 稚魚であるためその身は小さく、200~300グラム程度(手のひらほど)のサイズしかありません 骨・鱗(ウロコ)が硬くて多いので漬け場に飛び散り、結構注意が求められます仕込みです。 背開きに開いて、軽く塩で〆、骨を抜いて軽く甘酢をくぐらせて酢〆にします。そして、昆布を挟んで軽く昆布〆しますと赤酢のシャリとの相性も素晴らしく応えられない旨さがあります。 手間隙かけたこの光物は1年の中でも限られた時期にしか食べられない鮨です。 こんにちの若いお客様は光物を敬遠するようでありますが、他形態のすし店は扱わない傾向があるようですので是非ともお召あがりをおすすめいたします。
●コハダ・アジ・サバ・カスゴタイサヨリ・キス塩締めの後、酢で締める
●サーモン・マス・タイラガイ塩締めの後、三杯酢で締める
●タイ・ヒラメ・サワラ・カンパチ・スズキ・シマアジ・ヒラマサ塩締めの後、黒板昆布で締める
●赤貝・ミル貝塩水で洗った後、二杯酢をくぐらせる
●トリ貝塩締めの後、甘酢にくぐらせる
●アオヤギ湯引きの後、二杯酢をくぐらせる
●アナゴ水炊きの後、煮汁で煮る
●ハマグリ・ホッキ貝・ホタテ貝サッと茹で後、漬け込みする
●タコ塩でもんだ後、煮汁で煮る
●トコブシ塩水で洗って後、煮汁で煮る
1、にぎりずしを、1カン、2カンと数える。
カンを貫と書くようだが、正式に決まっているわけではない。そのいわれも諸説あって、正確にはわからないのです。現在でも握り1ケを1貫と呼ぶ。
2、にぎりずしの形が小判に似ている。
江戸時代貨幣の単位で貫があったのだろうか? すしの価値感(美味しさ、目新しさ等)が江戸の庶民に 受け入れられ、歌舞伎や芝居小屋での風刺劇にも取り入れられ、大人気となった。 すしと江戸小判をダブられたはないか。江戸の町民文化はこのような、ネーミングを付けるのが 流行のようだった。
3、当時の1人前盛りのすしの数のことでありますが。
イ、当時の1人前は、握り5個、海苔巻2切れで、これを5カン(貫の字を当てるべきであろうか)のチャンチキ(祭りばやしの音にかけて太古の撥(ばち)が2本だから、そのバチの意であろう)と呼ぶ。
ロ、今日のすし屋でもこの5カンのチャンチキはよく使われている言葉である。
ハ、このようにすしの用語は江戸文化の遺産である。
とにかく江戸時代の後期は江戸グルメの最盛期。おもしろい。
カスゴ(春=かす)(小鯛=ごたい)をカスッコ=末っ子と呼び江戸での方言であり、タイの中で形が小さく幼魚なのでこうなぞられた。地方により呼び名はいく通りもあります。キスはマギスを使う。東京ではシロギスと言う。国字で鱚と書く。色、良しの魚、「喜」をあててめでたい魚とした。
縦に幾筋も切り込みをいれて、オボロをはさんで握る。昔の仕事であり握りすしの上種として定評がある魚で「滝川」と言う。
ウロコが多く漬け場に飛び散り、仕事が結構やり難い仕込みである。それだけに手間隙かけ、江戸流に酢で〆た光物の握りずしは応えられない旨さがある。酢〆の中では品の良い魚とされている。こんにちのお客様は特に若い方々は光物を敬遠するようであります。
すしタネ名 味付け&供しかた
中トロまぐろ
ヅケまぐろ 醤油漬・わさび
ヒラメ 昆布〆・スダチ・岩塩
酢あじ 酢〆・アサツキ・生姜
クルマエビ 甘酢漬け
こはだ 酢〆・オボロをかます
煮はまぐり ヅケ汁で漬け込み
厚焼き玉子 えび・山芋等
赤貝 二杯酢漬け
江戸前穴子 塩・スダチ
煮たこ 桜煮・煮ツメ
いか印籠漬け 五目ずしをつめる・煮ツメ
かんぴょう巻
江戸時代後期から昭和20年代頃まではどこのすし店では漬けておりましたが お客様の生趣向が今日の「いか印籠漬け」等はすし店から姿を消しまった