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鮨の魅力は「一貫食べるたびに別の食欲が刺激されて次はなんだろう」と期待する

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すしの知識8「江戸を食す」すしの知識

NO61 鮨を数える単位を「貫(カン)」と呼びますが、なぜこの字か

なぜこの字が当てられるのかについていくつかの説があって、そのひとつに「銭さし一貫」が語源であるというものがあります。
江戸時代、穴あき銭96枚の穴にひもを通してまとめたものを「銭さし百文」と呼び、本来は96文なのに100文として通用したそうです。
そしてこの「銭さし百文」を10個まとめて輪にしたもの、つまり960文が「銭さし一貫」(1000文)として通用していました。
この「銭さし一貫」の重さは約3.6キロ「銭さし百文」の重さは360グラムほどあるのですが、この360グラムというのが当時の鮨ひとつの重量とほぼ同じくらいであったことから、
小さいものを誇張する江戸っ子の洒落で「一貫鮨」と呼ばれ「貫」という単位の由来となったというのです。
 まあ、鮨一個が360グラムというのはどう考えても大きすぎるとは思いますが、いずれにしても江戸時代の鮨というのは想像以上に大きいものだったようです。
それが時を経て洗練されたとしても、明治の頃の握りはかなり大きかったと推察できます。 


NO62 下町の屋台のすし屋

     

下町の屋台のすし屋は、同じ町内の住人が顧客で顔見知り。屋台店での商売は小資本で始めることが可能だった。若いすし調理師にとっては登竜門だった。


NO63 茹で海老

    

沸騰させた鍋に塩を入れてからクルマエビを入れます。氷水に落とし、海老を開き、水洗いして、ザルに振り塩して、海老を並べます。
そして、海老に振り塩します。5分〜10分そのままにしてから水洗いして、容器に並べて水切りします。
冷たい甘酢(水も入れる)にくぐらせてから、握ります。塩と甘酢の梅塩で一段と旨みが加味されます

     

NO64 ガリ

すし屋の符諜では「ガリ」俗に谷中という。 手酢・ワサビ・ハラン等と並んで抗菌力のあるすしには無くてはならない必需品で、オオバ、ホジソ、キュ-リと共に妻ものと称しております。 これらの品を取り扱う専門の妻屋さんがありまして、こちらからショウガを持ってきて頂いております。 このショウガに味をつけるのは自分でするのが望ましい。 風味、歯ざわり、香り、全てにわたって国産で無いものとは違います。 生姜を薄くおろして甘酢につけたもので、魚の生臭みを消し、毒気を避ける即ち、お茶と同様に先に食べた肴の脂分をなくし、次の食べるすしの旨味を引き出す口直し用です。 ガリの製法 昔は湯通しないこと、塩をじかに振らないことと伝承されているが・・・。 現在は熱いと感じる程度の湯をかける「湯ぶり」をしてそしてすぐに冷水にくぐらせて、アクを抜く。 以前はショウガの外側の皮をむいて薄く下したものに、 摂氏60度から70度ぐらい熱いと感じる程度の湯をかけるのを「湯ぶり」という。 そしてすぐに冷水にくぐらせて、アクを抜く。 こうすると臭い色は消えて色を美しくして舌ざわりを和らげる特色がある。 湯ぶりすませてから、酢2、砂糖1 塩少々の甘酢に漬ける。

    

NO65 湯引きと霜ふり

摂氏60度から70度ぐらい熱いと感じる程度の湯をかけるのを「湯引き」という。 湯引きは少し古い魚、例えばタイ、ヒラメ、スズキといったものでもこれをすると色艶も格段と良くなり身もしまって味も上がる。 霜ふりは同じ方法だが、これは古くなった魚、マグロ、カツオ、サバといった類の香の臭いを抜く為に用いられる。


NO66 川越人足

慶長12年(1607))徳川家康が府中(静岡市)の市街地を分断して流れていた安倍川をひとつにまとめて、町の西側に迂回させ現在の位置に安倍川を築いた。 安倍川は、川越人足に渡してもらわなくてはならない川で、水深1.5Mを超えると川留めとなった。 人足の中には悪人足と義人足がいたという。 静岡市駿河区南安倍町の曾祖父の父は評判の人物で、性格は謹厳実直、体も大きかった。大政奉還後隠棲した15代将軍徳川慶喜を肩車に乗せて川を渡ったと祖母は自慢話を語ってくれました。 その後、明治7年に個人が独力で架けた木橋の賃取橋「安水橋」が完成。 大正12年に県内の国道1号に架かる4大河川(安倍川・富士川・天竜川・大井川)の永久橋のひとつとして最初に完成したのが延長490.80mの英国から輸入した鋼材を使用した安倍川橋である


NO67 お盆の供え物 助六

飲食(おんじき)
毎日家族が食べるものと同じものを食前にお供えする
霊供膳(りょうぐぜん)
仏前と故人の命日や法事のときにお供えする 霊供膳は精進料理ですから、魚や肉などの生臭いものは避けます
名前の由来
歌舞伎十八番「助六由縁江戸桜」の主人公助六の名前に由来。
助六の恋人のおいらんの名前が「揚巻」(あげまき)なので、 「揚」が油揚げで「いなりずし」です。「巻」が巻きずし「のり巻き」 と言う事このセットを助六寿司と呼びます。


NO68 合わせ酢

シャリ用酢は酒粕酢(江戸前赤鮓 )と米鮓 のブレンドに塩と砂糖を加えたのが合わせ酢です。 3年以上熟成させた吟醸酒粕を使用し、伝統的な木桶作りのお酢をベースに米酢をブレンドしたすし専用のシャリ酢です。 重厚でコクのあるシャリに仕上がります。赤酢を使用しておりますので、色がついたシャリとなります


NO69 古典的な白魚の握り

薄い鍋に落し蓋をして酒と白砂糖と塩で味付けて煮る。盆笊にあける。わさびもつけない。 これを手のひらの上に乗せて握る。魚だけで握る腕さえあれば一人前・・・・と 明治生まれのすし職人語録 江戸時代は佃村の漁師が漁業権をもらって四手網で家康の江戸城に収めた。その余りをすし屋が握った。


NO70 昔の仕事 白魚

ツユの作り方
イ、みりんをうすめて、そこに白砂糖を少し加えたうす味のツユを作る
ロ、それで煮る
白煮の方法
イ、平らな鍋に先のツユを煮たてそこに塩で洗った白魚を一本づつならべて蒸しぶたをして弱火でさっと火を通す。
ロ、このときならべた白魚の上に、アミなどをのせてまっすぐ煮あがるようにする。
ハ、火が通ったら手ザルにあげてあおいで冷ます。一本ずつはなしておく。
ニ、生煮えはいたみやすいので注意。
ホ、握るときは5〜6本ずつ頭をそろえてよせ、すしに握る。
ヘ、これを煮たかんぴょうを細く細かく切ったもので1本ずつ結んだものである。
 


NO72 赤貝の仕込み

1. 殻からむきぼうでとりだす。 2. 身・ヒモ・ワタにわける。 3. フリザルに入れて、この中に塩を入れて、まな板を斜めにして、その上で赤貝独特の血とヌメリがあるので、これを取り除く為にフリザルを振ります。 4. アクと血が全て流されるまで水をかけて洗わないこと。 赤貝の色と香がなくなるからです。 5. アクと血がなくなったところでサッと水をかけ手早くきれい 6. ヒモはつけ根の半分のところに切れ目を入れる 7. 身はふちに包丁で切れ目を入れる 8. 包丁の刃もとで身に細かい切れ目を入れる 9. まな板にたたきつけて身を締めた後に握る 10. 身とひもは二杯酢にくくらせる 11. レモンを数滴かけて握ります 12. 秋から春にかけてが食べ頃です。 13. 中国産はいけません国産に限ります。 14. 血のある貝は傷みやすいので鮮度が重要なポイントです 15. フルザル入り赤貝(振り塩が多くて塩気が強く過ぎないように


NO73 ちらしずしの定義

「按ずるに鮨はもと一旦漬けておいて食うべきなるべし・・・・」とすしの本にはある。
「すしとはすべて馴れた味覚の育成を基本として、その製法がなされるべきであり、単に鮨飯のうえに具(飯のうえに並べるタネを昔は「上(うわ)ぶき」といった)をならべるだけの現在のようなちらしに対して、すしか否かの論がでてくるのは当然ともいえる・・・・。」 「上方ではまぜずしを起こしずし・すくいずしと言い、江戸ではごもくずしと言う・・・・」
江戸では「ごもくずし」をまぜずし(混ぜずし・交鮓)とも呼んでいた。現在は関西方面はちらしを「ばらずし」と呼んでいる。江戸のまぜずし対しての呼び名。
「ごもく」はその具に生臭を使用しない、すなわち精進ごもくのことであり、生臭を使用してもよいのが「ちらし」だと、江戸老すし職人は解説している。
静岡ちらしの原点は江戸時代の長門鮓 にある。長門鮓 は「ごもく」に漬けた魚類を「上(うわ)ぶき」したのであるから「まぜずし」即ち「ごもくずし」が正しいのか?
静岡県すし組合の商標登録「静岡ちらし」はこの説から言うと「ばらずし」なのか?方言的に関東が「五目すし」、関西が「ばらずし」といった方がいいかもしれない。


NO75 酢鯵は皮付

鯵の皮下脂肪は非常に美味しいので皮をつけたまま握る。小さな鯵を選び、背開きして、ゼイゴをとる。 ザルに塩。鯵にふり塩する。塩の時間夏は20〜30分 冬は35〜45分 水洗い、水切りする。鯵をジャブジャブと2番酢で洗い。 小さな鯵は背中合わせにして、本酢に漬ける。(10分)酢切りする、小骨抜き、昆布でしめる。握る時は生酢の中に再度数秒入れてからワサビで握る。 江戸前の鮨の基本は「タネの味付けとシャリで熟れさせる」事です。皮付酢鯵は生鯵とは違った美味しさで召し上がれます。 生で握る鯵は地魚の鯵(由比沖)に限ります。生の場合は皮をはいで、握ります。握る時は生酢の中にやはり数秒入れてからアサツキとショウがで握る。

     

NO76 鮓と鮨の違い。江戸で生まれた寿司文字

すしを「鮓」(さ)とも「鮨」(さ)とも書く 鮓とはタンパク質と塩と澱粉すなわち米。「なれずし」を意味している。一方鮨は魚と塩。タンパク質と塩だけ。本来「しおから」のことである。 昔は全てなれずしであったので鮓の字を当てていた。 鮓の作は物を薄くはぐ(こけら)という意味もある。 現在のにぎりすしは鮓にも鮨にも当てはまらない別物であるので 江戸前の鮨のつくりの旨には物を熟成させるという塩辛意味があり、江戸っ子の対抗意識から江戸前の魚は旨いを意識して、あえて「鮨」の文字をすしとして使った。 「寿司」は当て字ですが、作字は江戸末期。明治元年(1868) 寿詞=じゅし ヨゴトと読みます。京都御所の天皇に捧げる祝い詞で言編を除いたのが司。江戸末期ころから「寿司」「寿し」の表現が最も親しまれ使われてきた。 上方(関西)のすし店はすしを「鮓」。江戸では「鮨」の文字を。「寿司」の文字は明治時代以降のすし店がすしとして使った。 すしの文字の違いはあれども、すしの味というのはを熟れた味の旨さということである。

     

No77 200年前から鳥貝は人気

鳥貝と東海道中膝栗毛上方で鳥貝のすしが喜ばれたことは、「東海道中膝栗毛」京都の条(文化4年1807)に
 ◆中には上方に流行る鳥貝の鮨なり・・・・・
 ◆北八「何だ、コレヤばかの刺身を鮨に付けたのだな」
 ◆北八「アレ弥次さん見なせへ、あの鮨は京で喰ったが とんだ好かった 一つ  やらかそふ」
と、江戸者の口にも合ったことがわかる。
「摂陽奇観」(文政2年1819)に「万安売り御代賑いろは歌教訓鑑」というのを収録しているが、その中に
 ◆り(利)をすこしとりかい(鳥貝、取)のすし(鮓)さばのすし(鮓) あさくさのり(浅草海苔)もやすしまきずし(巻鮓)
とあり、海苔巻、サバずしと並んで鳥貝すしが大衆的だったことがわかる。

     

NO78 すし屋 の「おまかせすし」勧める訳

生食を扱うすし屋の当店としては、食品取り扱いでの衛生管理は最重要事案です。 ワサビ、鮓、塩、ハラン、生姜、梅干し等抗菌作用を有効に使いすしを漬けています。 すしダネ用魚を全て生で握る生嗜好が強い昨今ですが。 アジ、サヨリ等塩振りして酢〆したら、古くなったから酢〆しただろうと思う客が結構いらっしゃいますがそうではありません。 江戸前すしの暖簾店は江戸時代から伝承されている、衛生面、保存(抗菌作業)、旨味等からの仕事をしておりますので、 鮓〆、昆布〆、煮る、焼く、漬ける等が当たり前の普通の仕事となっております。 従って、すしダネにより酢にした方が美味しさが引き出されるのです。当店では地魚(超近海物)であれば、もちろん生でも握ります (但し、生でも必ず下処理を経た後の握りとなります) お客様の要望が強い生嗜好より、自分のやっている仕事に調子を合わせて頂く事にしておりますので、「おまかせのすし」をお勧めいたします。

     

NO80 手間隙かけた江戸前のコハダ

1、コハダは塩と酢で決まる
2、振り塩の時間は長年の勘で塩加減を決める   
大きめなザルに背の方を下にして荒塩で振り塩します。塩加減はコハダの条件に合わせてカンで決める(親方から教わった職人の門外不出の塩加減。シャリの調合の塩も同様)振り塩でしめる仕方とたて塩(濃い塩水)でしめる方法があります
3、水洗い(塩出し)したコハダ   
コハダの表面の水分とコハダから出た余分な脂肪分を洗って流します 。そうしますと酢がしみこみやすくなります
4、「酢洗い」を二番酢で酢洗いをする   注:二番酢とは前回本漬けで使用し残しておいた酢叉は、水と酢を同量で混ぜた酢 。
コハダは青魚の生臭さがありますので本漬けの前に生臭さを取ために一枚一枚ゆすぎます。   
ゆすいだコハダ5枚位重ねて手のひらで押して余分な酢をきり、30分位おきます  
ポイント:酢洗いをきちんととすれば生臭はなくなり、美味しいはここで決まります。
5、本漬けは一番酢で漬ける   
つけ具合は時間に頼らないで自分の目で見て決める(職人により時間に差異があります) 余分な酢を切り馴染ませる為一晩以上立てかけて冷蔵庫に入れておきます
2日目に召し上がるコハダが一番で、当日には握らない事です

     

参考文献 早川光著 日本一江戸前鮨がわかる本

参考文献 吉野f雄著 「鮓・鮨・すし すしの事典」

参考文献 著者 吉野f雄 「すし技術教科書」