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鮨の魅力は「一貫食べるたびに別の食欲が刺激されて次はなんだろう」と期待する

電話でのご予約・お問い合わせはTEL.054-345-8268

〒424-0886 静岡市清水区草薙122

すしの知識7「江戸を食す」すしの知識

NO41 江戸前鮨の仕事いろいろ

1、江戸前の仕事をしております。
刺身をのせるだけのすしが多い昨今です。 当店:材料の酸化を防止と甘みを引き出す、煮る、焼く、酢〆、昆布〆、茹でる等を基本コンセプトに。
2、お土産を作らない鮨屋がある。
鮨を折り詰めにして何時間も時間が経過してから食べる鮨はその場で食べる鮨と比較したらたら 美味しくないのは当たり前である。 当店:江戸前鮨の基本で創っておりますので(タネとシャリが馴染ませること)
、 2時間位でお召し上がるのでしたらお土産は作っております。
3、煮切り醤油を鮨につけて供します。
当店:味をつけているタネですので鮨タネにより、煮切り、煮ツメ、塩、柑橘で供しております。 作り方はだし汁に味醂、酒入れて沸かし、醤油を入れる。約1割位分量が少なくなったら火を止める。
4、江戸時代から大正時代までは鮨の大きさは今の大きさ(指2本位)の2倍(指4本位)の大きさで あったと聞いている。
昭和の時代になってだんだんと小さくなり、1個では物足りないからといってお客様の注文で2個供するようになった。ご飯粒の間に空気を入れて(空洞をつくる)握らないと鮨は駄目。
5、鮮度の良い魚は全部生で握る生嗜好が強い昨今。
アジ、サヨリ等塩振りして酢〆したら、古くなったから酢〆しただろうと思う客が結構いらっしゃる。当店:お客様の要望が強い生嗜好より、自分のやっている仕事に調子を合わせて頂く事にしております。 (生、酢〆両方の鮨を用意はしておりますが、酢にした方が美味しさには格段の差があります)


NO42 初カツオと川柳

江戸っ子は初カツオの刺身は「からし」で、食していたのが普通だった。 ワサビなどでも食べていた江戸っ子もいたようです。 当時の川柳にも、初カツオを題材にしたのが多くある。 「初がつを 銭と芥子で二度落涙」 「梅にうぐいす鰹にはからしなり」 「春のすへ銭へからしをつけて喰い」 「初の字が五百鰹が五百なり」 「初鰹玄関ふまぬ残念さ」 高価な鰹になけなしの銭をはたいて嘆息です。 「今くへばよしと肴屋置いてゆき」 「おちぶれるものは鰹の値段なり」 「はづかしさ医者へ鰹の直(ね)が知れる」 安永年間には鮮度が落ちると値段も安くなった 「初松魚(はつかつお) からしがなくて涙かな」 大奥の老女・絵島と歌舞伎役者の生島新五郎の絵島生島事件(1714) で三宅島に流されたから生島新五郎が二代目・市川団十郎によせた句が有名です。 「目には青葉山ほととぎす初鰹」   俳人山口素堂の句です。 初鰹の出始めのこの季節は新緑が美しく、山ではほととぎすの初音がきかれる。 「花の絵島がから糸ならば、たぐり寄せたい身がそばへ」 江島は信州高遠へ流罪となり、新五郎を哀れんで三宅島の民謡に歌はれた。 Facebook用 江戸っ子は初鰹(はつかつお)の刺身は辛みの強い「和からし」で、食していたのが普通だった。 ツンとくる刺激は、粋で強情っぱりな江戸っ子にぴったりだったのです。 ワサビなどでも食べていた江戸っ子もいたようです。 当時の川柳にも 「初松魚(はつかつお) からしがなくて涙かな」 大奥の老女・絵島と歌舞伎役者の生島新五郎の絵島生島事件(1714) 絵島は信州高遠へ流罪となり、三宅島に流されたから生島新五郎が二代目・市川団十郎によせた句が 有名。そして、明治時代になり、おでんをきっかけに、和からしは洋食料理で多く使用されるようにな りました。 江戸っ子は初鰹(はつかつお)の刺身は辛みの強い「和からし」で、食していたのが普通だった。 ツンとくる刺激は、粋で強情っぱりな江戸っ子にぴったりだったのです。 ワサビなどでも食べていた江戸っ子もいたようです。 そして、明治時代。おでんをきっかけに、からしは新たな活躍の場を洋食料理で広げます。


NO43 甘鯛

     

●三種類ある
白甘鯛
一般的にはシラカワともいわれ京都では「ぐじ」静岡では「興津鯛」と呼ばれている。体全体が白っぽく成魚は60cm位になる三種類の中では一番上物とされてます。 やや白みをおびたピンク系で尾ビレの模様が他の2種類と異なっているのも特徴。
赤甘鯛
体全体が赤く、あまだいの中では最も漁獲量が多く成魚は50cm位になります。
黄甘鯛
30cm位でも小さく、淡白すぎて味が落ちるともいわれています。
旬は
秋から冬が旬です。特徴 他の魚に比べて脂肪分が少なく、80%近くが水分。興津鯛とは一夜干しを静岡県では興津鯛と称している。
作り方
江戸時代の長門鮓復元の為一夜干しした。うろこをとり3枚おろしにして、塩水につけ(時間と塩の比率)、水にさらし塩だしする。そして頭と尾を左右に押し身を浮き上がらせ、半日干した。 白梅酢(地元農家製)に漬け込み、昆布〆にする。(数日間寝かせた)


NO44 江戸と上方の昔の合わせ酢

    

食酢の歴史
平安時代延期年間(927年)に延期式に米酢の作り方が記載されている 桃山時代までは和泉酢(大阪)の独壇場でした。 江戸時代前期には相模の中原、駿河の善徳寺(富士市)、尾張の半田などに伝えられ、名産地が誕生しました。 1800年代までは米酢が一般てきであった。 上方の押しずしのすし飯には、日本酒から造った米酢が使用され、砂糖も使用されたもようである。 一方、江戸時代も後期の文化・文政年間になると、「握りずし」が考案された。 文化元年(1804)「高価だった米酢を粕酢にすることができたら・・・」ミツカン酢は酒粕を利用した粕酢造りが始められました。
塩の歴史
「入浜式塩田」、500年位前(室町時代末期)から昭和30年頃まで続けられ、この自然の力を利用した大変合理的な方法は、干潮と満潮の差が大きい瀬戸内海沿岸で開発・発展しました。 砂糖の歴史
寛政2年(1790)讃岐(香川県)で白砂糖が製造され、8年後には大阪市場に廻送できるほど量産化された。
砂糖には、すし飯に粘りや艶を与えるという利点もあるし、これを使うことで保存性も高くなる。さらに、砂糖の持つ保水力で、酢をご飯粒につなぎ止めておくという効果もある
江戸の昔の合わせ酢徳川将軍のタブーの食物 シャリ1升(1800cc)酢1合(180cc)塩1合(180g)

     

NO45 徳川将軍のタブーの食物

第1回世界すし博覧会in静岡の時徳川記念財団徳川恒考理事長(徳川宗家18代当主)が講演された。 その中で、歴代将軍の食膳にはタブーとして供されない食物が色々あった。もちろん「すし」は食べたという記録は見当たらなかったと話されておりました。
徳川将軍のタブーの食物
12代家慶の場合の食事徳川将軍のタブーの食物
将軍家の料理は、京都御所にならって室町以来の流派の料理人によって供されていた。
●朝食は二汁三菜徳川将軍のタブーの食物
一の膳は汁(味噌汁)と「向うづけ」(刺身叉は酢の物)「平」(煮物)
二の膳は吸物と「皿」(きすの焼き物)
●昼食と夕食は一汁五菜
汁(しじみ)と  「平」(煮物)こちの切身、長芋、ぜんまい  「置合」(口取り)寒天、栗、ぎせい豆腐、金糸昆布  「焼き物」鯛  「お外のもの」海老  「お壷」蒸玉子 *金糸昆布とは、昆布の芯だけを取って、細く刻んだ金糸のような昆布。 *ぎせい豆腐(擬製)とは、水分を切った豆腐と野菜やキノコを混ぜ、溶きほぐした卵と合わせて型に流し込み、蒸したり焼いたりする料理。
将軍の食事(用いなかった食材)
・野菜では、ネギ、ニラ、らっきょう、つくね芋、いんげん、さやえんどう等
・海藻では、わかめ、ひじき、あらめ
・魚では、このしろ、さんま、いわし、まぐろ、さめ、ふぐ、あいなめ、むつ、あかえい、いな、ナマズ、どじょう、ふな。干物類
・貝では、かき、あさり、赤貝
・肉では、鶴、雁、鴨、うさぎ以外のすべて
・果物では、水瓜(すいか)、瓜、桃、りんご、すもも はただ見るだけで食べず,梨、柿、蜜柑の類だけは食べた
料理としては、天ぷら、油揚げ、納豆の類は供さなかった


    

NO46 すしの行商

すし売りは江戸ではイナセな代表とされていた。昼間は右手を下げているが、夜になると提灯をもって、美しく澄みきった声で
「すしやァ こはだのゥすゥしィ」と呼んで売り歩いたのである。行商人は右手をあけているのが特徴となっている。
■中心をとるためと、手の置き場を容易にする為に、一番下の箱を一枚突き出している実益の担ぎ方である。すしを入れた箱は布の紐で結んでいた。
■右側に手拭を頭にのせ、すしを入れた箱
いで男が見える、これがすし売り人。 図にある町は日本橋通り 今の八重洲口通りである
■「すしやァ こはだのゥすゥしィ」と呼んで売り歩いた。右手にはお茶入れたやかんを提げている
古くは右手をあけたが、明治時代になると必ず左手あけていようです
■岡持ちに「いなりずし」入れて、右手で支え、わずかに左肩にのせる売り子もあった。
天保ころまでは白足袋を用いていたが、慶応のころからは紺足袋をはくようになった。


NO48 節分と巻きずし

恵方巻は当時沢庵を巻いていたとは? 四十四年の節分の日、日本風俗史学会食物史分科会の月次例会の席上、大阪市立博物館の平山敏治郎館長から「ここに来る途中、阿部野橋のすし屋の表に本日巻きずしありという広告を見たが、何のことか知らん」という質問があり、美登利鮓の久保登一氏の返事に、節分に巻きずしを食べる風習は大正の初めにはすでにあった。
おもに花街で行われ、ちょうど新こうこうがつかる時期なので、その香の物を芯に巻いたノリ巻きを、切らずに全のまま、恵方のほうに向いて食べる由。老浪華人の塩路吉兆老も今日まで知らなんだ、と言われる。もちろん私も初耳だ。普通の町家ではあまりやらないようだ。全国ではどうであろうか。
注)こうこうとは「香の物」の「香」を重ねたもので、沢庵漬けなどをいう


NO49 すし変遷史

西暦 年号 鮓の変遷
715 ~ 806 奈良時代 熟れずし=ホンナレ (ミサゴすし) ミサゴが魚をくわえて残飯にそれで発酵。 (滋賀県フナずし=ニゴロブナ) 1年くらい漬け込んだもので、ご飯は食べずフナだけ食べる。 養老律令(718年) 「鮨は鮓のことなり」の記事わが国で一番古いすしの文献
806 ~ 1190 平安時代 熟れずし=ナマナレ (岐阜県アユすし) (奈良県アユの釣瓶ずし) 延喜式(930年) 自然発酵玄米をアユ・フナの腹に入れて熟成。 土佐日記(936年) 海岸(アワビすし) 山奥(イノシシすし)
1190 ~ 1329 鎌倉時代 熟れずし=ナマナレ  (福井県アワビすし=鰒) (愛知県い貝ずし) 平安時代と同じで変化がない アユ・フナを熟成。 生成 10日くらいで食べられ、素材はアユ・フナ・ナマズ・コイなどの川魚が中心でした。
1394 ~ 1573 室町時代 生成(兵庫ツナシずし) (和歌山サバ熟れずし) 蜷川(にながわ)親元(ちかもと)日記(にっき)(1473年) (吉野釣瓶ずし) 書言字考節用集(1496年) (宇治丸=うなぎすし) 御湯殿の上の日記(1474年) 姿ずし・棒ずし (京都サバずし) (大阪小鯛の雀ずし)
1575 ~ 1600 安土・桃山 飯ずし(和歌山コケラずし) (大阪箱ずし) いずし(秋田県ハタハタずし) (石川県カブラずし) いずしは北海道~東北地方の名称 御湯殿の上の日記(1477~1826年)
1600 慶長05年 早ずし 生成が早ずし(10日間) (栃木県アユの姿すし)
1603 慶長08年 飯ずし (愛知県木曽川アユずし)
1615 元和01年 生成 (長良川献上鮎鮨)
1624 寛永01年 生成 (大阪小鯛の雀ずし)
1644 正保01年 1647年飯すしのコケラすしが箱ずしの原型
1645 正保02年 いずし (秋田県のハタハタずし) 飯ずし (京都府の宇治丸) (奈良県の飯ずし) 毛吹草(1645年)
1665 寛文05年 安土時代の生成がこの時代まで温存変化なし
1673 延宝01年 早すし  (漢方医の松本(まつもと)喜甫(きすけ)待ちゃれずし)
1685 貞享02年 江戸ですし屋が店を持つ
1695 元禄08年 箱すし (富山県マスずし)   (静岡県田子すし )
1703 元禄16年 稲荷ずし(あげずし) 巻きずし 今日のすしの始まりは駿河・三河の家康により権力範囲の東海地方から宿場ごとに携帯便利食として伝えられ江戸に入り、庶民に普及し始めた。宮尾しげを著 「すし物語」
1727 享保12年 箱すし (越中のボラすし) 徳川吉宗サトウキビ奨励
1732 享保17年 こけらすし
1742 延保04年 生成 (吉野釣瓶ずし) 竹田出雲「義経千本桜」(1742年)
1751 寛延04年 交鮨 (押しずしの一種) 江戸総鹿子大全(1751年h) 当座鮓(早すしとも) 飯と具を桶にてちょっと押さえてつける簡便なコハダ・アジが主の鮨
1758 宝暦08年 箱すし   (はこつけ寿し) 絵本江戸土産(1758年)
1772 安永01年 ちらしの押しずし (静岡県の長門鮓) この時期には稲葉屋の立場茶屋で売っていた。
1782 天明02年 江戸では握りずしが始まっていた 1785 天明05年 卵料理の人気有り、贅沢品 万宝料理秘密箱(1785)103種類の卵料理が紹介されている
1787 天明07年 海苔巻? (銀座の長門鮓) 「江戸名物喰物重法記」には 20軒すし屋の名前に銀座長門鮓が載っている。(小吉田とは別) 海苔巻 (笹巻きすし・玉子巻き) すしの名が江戸に初見   (三重県湯葉巻)
1789 寛政01年 江戸風鮓   (いさごすし=松の鮓) 箱寿司が廃れ、
1790 寛政02年 白砂糖が国産化された
1793 寛政05年 ちらしずし (大阪のすくいずし) (岡山県のばらすし) (静岡県のきりだめしずし) (山口県岩国ずし) 名飯部類(1802年)
1801 享和1年 ちらしの押しずし (長門鮓) 改元紀行(1804年)蜀山人太田南畝
1804 文化 01年 握りずし 上方境の商人堺屋松五郎 (いさごすし=松の鮓) 「文化のはじめ頃、深川六軒ぼりに、松がすし出来て、世上すしの風一変し・・・・」
1813 文化10年 ちらしの押しずし (静岡県の長門鮓) 大阪の豪商片山重芳仙台へ下向
1823 文政06年 握りずし    (江戸前すし) (柿の葉すし) 与兵衛すしが工夫 妖術といふ身で握る鮨の飯 鮒の昆布巻き   (江戸尾張町 長門すし)
1833 天保04年 箱ずし  (長崎県大村ずし)  (大阪府サバ・タイ・アナゴずし) 関西の押しずし完成 1837 天保08年 嘉永二年(1849)の『守貞漫稿』には 天保中期の様子記してある。 鮨には梅酢漬の生姜一種を添える。 赤き故に紅生姜とも言う。 「江戸の庶民が拓(ひら)いた食文化」 渡邉信一郎著
1843 天保14年 宝酒造が味醂製造
1844 弘化01年 稲荷すし流行 (江戸の稲荷すし・篠田ずし) 近世商買尽狂歌合(1852年)
1850 嘉永03年 江戸前ちらしずし (吹き寄せと呼ぶ)  
1853 嘉永06年 江戸では海苔巻を干瓢のみとある
1856 安政03年 ちらしの押しずし (静岡県の長門鮓) 俳人内藤鳴雪11歳の時(1857年) 鳴雪自叙伝(1922年)
1868 ~ 1912  明治時代 明治2年(1869年)「明治天皇が京都より東京へ御再幸のさい、立場本陣、稲葉方で御休憩遊ばれた折御茶代頂戴」と記され、長門鮓召し上がられる


NO50 江戸時代のマグロは下魚

天保の末(西暦1842年)にマグロの大漁があって、そのころまではマグロは魚の中では上等のものとして扱われていなかったので、そのマグロの処置に困って捨てようにも場所がなかった。 そのとき日本橋馬喰町の恵比寿鮨が試みにマグロをタネに使ったところ、江戸ッ子の気風にあって流行した。 馬喰町というところは、名のごとく馬喰が大勢いた土地であり、馬喰がいなくなってからは、地方人相手の宿屋が多かったので、諸物の安いものが歓迎され多く売れたため、安しいすしとして恵比寿鮨の主人が売り出したものであろう。 この時代は冷蔵庫の設備がないので鮪の色が変わるので、切りつけしてから醤油の中につけて、亀甲色にして用いたので、鮪のことをヅケ(漬けるの略)という名が出た。 当時、上流家庭に納める鮨には鮪を用いない。御膳ずしと看板をだした店は鮪に代わってタイ、ヒラメの白身の魚を用いている。 注)馬喰とは牛を鑑定・見極めて市場へ売りに行く牛の鑑定人、仲買人のこと 注)江戸の魚河岸は日本橋  元禄期(1688~ )には日本橋魚市場(後に築地に開設)は活況呈していた。 昼の芝居小屋が集まった芝居町(現在の浅草六丁目付近)、夜の吉原(現在の日本橋人形町)と並んで「朝の魚河岸は1日で千両動く」ほどに江戸の中でも大金が動いた。 注)江戸時代は、別名で「「シビ」と言う。「死日」に通じることから、いつ命をおとすかもわからない武士にとって、この名は禁句であった。それゆえにマグロは下賤な食べ物として食べなかった。 190年前の文政時代の頃犬猫も食わなかった「鮪(マグロ)」?ですが、もっぱら塩を振って焼いて食べていた。鮪の刺身は常食せず、「透き身(スキミ)」という呼び名であった。今に使われている言葉「スキミ」はここから生まれた  



NO51 魚篇の読み方

鮮 あざ(やか) 鯏 あさり 鯵 あじ 鯇 あめのうお 鮎 あゆ 鮑 あわび 鰒 ふぐ 魷 いか 魦 いさぎ 鮻 いさぎ 鱊 いさぎ 鯆 いるか 鰛 いわし 鰯 いわし 鮇 いわな 鯎 うぐい 鰻 うなぎ 鱗 うろこ 鱏 えい 鱛 えそ 魵 えび 鰕 えび 鰓 えら 魞 えり 鮖 かじか 鰍 どじょう 鯑 かずのこ 鰹 かつお 魳 かます 鱲 からすみ 魪 かれい 鰈 かれい 鮍 かわはぎ 鱚 鱚 鱜 きょう 鯢 くじら 鯨 くじら 鯉 こい 鯒 こち 鮗 このしろ 鰶 このしろ鱓 ごまめ 鱔 ごまめ 鮴 ごり 鮏 さけ 鮭 さけ 鯹 さけ 鮄 さば 鯖 さば 鮫 さめ 鱵 さより 鰆 さわら 鱪 しいら 鯱 しゃち 鱐 しゃちほこ鮊 しらうお鯳 すけとうだら 鮓 すし 鮨 すし 鱸 すずき 鯐 すばしり鯣 するめ 鮬 せいご 鮉 たい 鯛 たい 鰖 たかべ 鮹 たこ 鱆 たこ 魛 たちうお 魣 たなご 魣 たなご 鱮 たなご 鱈 たら 鰔 たら 鱅 ちちかぶり 鱘 ちょうざめ 魡つ(る)鰢 つくら 鯲 どじょう鰌 どじょう魹 とど 魸 なます 鱠 なます 鮀 なまず 鯰 なまず 鯡 にしん 鰊 にしん 鮸 にべ 鯁 のぎ 鰣 はす 鰰 はたはた鱩 はたはた魬 はまち 鱧 はも 鮋 はや 鮠 はや 鰷 はや,はえ鰚 はらか 鰉 ひがい 鯷 ひしこ 鮃 ひらめ 鰭 ひれ 鰾 ふえ 鱶 ふか 鮐 ふぐ 鯸 ふぐ 鮒 ふな 鰤 ぶり 鮱 ぼら 鯔 ぼら,いな 鮪 まぐろ 鮅 ます 鱒 ます 鮲 まて,こち 鯧 まながつお鯥 むつ 鱫 むつ 鰘 むろあじ鱞 やもお 鰥 やもお 鰙 わかさぎ鰐 わに 鮮 あざ(やか) 鯏 あさり 鯵 あじ 鯇 あめのうお 鮎 あゆ 鮑 あわび 鰒 ふぐ 魷 いか 魦 いさぎ 鮻 いさぎ 鱊 いさぎ 鯆 いるか 鰛 いわし 鰯 いわし 鮇 いわな 鯎 うぐい 鰻 うなぎ 鱗 うろこ 鱏 えい 鱛 えそ 魵 えび 鰕 えび 鰓 えら 魞 えり 鮖 かじか 鰍 どじょう鯑 かずのこ 鰹 かつお 魳 かます 鱲 からすみ 魪 かれい 鰈 かれい 鮍 かわはぎ 鱚 きす 鱜 きょう 鯢 くじら 鯨 くじら 鯉 こい 鯒 こち 鮗 このしろ鰶 このしろ鱓 ごまめ 鱔 ごまめ 鮴 ごり 鮏 さけ 鮭 さけ 鯹 さけ 鮄 さば 鯖 さば 鮫 さめ 鱵 さより 鰆 さわら 鱪 しいら 鯱 しゃち 鱐 しゃちほこ 鮊 しらうお 鯳 すけとうだら 鮓 すし 鮨 すし 鱸 すずき 鯐 すばしり 鯣 するめ 鮬 せいご 鮉 たい 鯛 たい 鰖 たかべ 鮹 たこ 鱆 たこ 魛 たちうお 魣 たなご 魣 たなご 鱮 たなご 鱈 たら 鰔 たら 鱅 ちちかぶり 鱘 ちょうざめ 魡 つ(る) 鰢 つくら 鯲 どじょう 鰌 どじょう 魹 とど 魸 なます 鱠 なます 鮀 なまず 鯰 なまず 鯡 にしん 鰊 にしん 鮸 にべ 鯁 のぎ 鰣 はす 鰰 はたはた 鱩 はたはた 魬 はまち 鱧 はも 鮋 はや 鮠 はや 鰷 はや,はえ 鰚 はらか 鰉 ひがい 鯷 ひしこ 鮃 ひらめ 鰭 ひれ 鰾 ふえ 鱶 ふか 鮐 ふぐ 鯸 ふぐ 鮒 ふな 鰤 ぶり 鮱 ぼら 鯔 ぼら,いな 鮪 まぐろ 鮅 ます 鱒 ます 鮲 まて,こち 鯧 まながつお 鯥 むつ 鱫 むつ 鰘 むろあじ 鱞 やもお 鰥 やもお 鰙 わかさぎ 鰐 わに  


NO52 天然真鯛

白身魚の代表格はマダイです。 最近は比較的手頃の養殖真鯛が出回っておりますが、天然は尾ヒレはピンととがっております。天然真鯛と養殖真鯛の見分け方。
1、天然真鯛は目の上に(画像)アイシャドウをぬった鮮やかな青色がさしてある。
 更に美しくなろうとするのか?  体にも青色の斑点がある。  昆布〆にすると3日目から美味しくなる。
2、養殖真鯛は比較的脂分が多く、肉質は柔らかめ、その日に使うなら違いは判りにくい。
  1日たつと身が熟成して更に柔らかなり、日持ちがしにくくなる 


NO53 ウナギとアナゴの違い

ウナギとアナゴ(マアナゴ)はどちらもウナギ目に属していますが、ウナギはウナギ科、アナゴはアナゴ科の魚です。 どちらも細長く円筒形で、体長は1m程度ですが、
アナゴには側線(体の両側に線状に並んでいる感覚器)の各孔に白色点があり、 背びれの下にも白色点が1列に並んでいるのが特徴です。 また、頭部にも白色点がみられます。
ウナギは淡水域に生息していますが、成熟した親は産卵のために海へくだります。 一方、アナゴは海に生息しており、海で一生を過ごします。 また、食品としてみた場合の違いは、アナゴの脂質含有量はウナギの半分程度であることです。 


NO54 サヨリ     

特徴
外見の上品さとは逆に、サヨリは腹黒い魚で、内臓は真っ黒、身を裂いた  ときには異様な悪臭を発つ。サヨリのいかもの食いが原因している。  秋ののサヨリも悪くはないが、味がいちばんよいのは早春である。  光ダネの中では脂肪が少なく、ビタミン類が期待できない魚。  肉は白く、味は淡白で香りがよいところから、高級魚に入り上ダネに位する
日々の仕込ではサヨリも決められた手順で仕込みします
1、腹開き
2、腹の内膜が黒く匂いがあるのでこすり取り流水で洗う
3、背骨は他の魚と違い、三角形に角張っているので、この角度に沿って背側の身に包丁を入れる。
最初の頃は誰も苦戦する包丁使いである。
4、均等に振り塩にする
5、流水で塩を洗う
6、良く水分をふき取って小骨を抜く
7、身と身を重ねないで皮目と皮目を折り込んで保管する
8、握るときは淡白なタネですのでオボロをかませます。
  又はショウガとアサツキを添えても違った風味で美味しいです
サヨリは春のタネとしてはカスゴと同様に代表的な光ものです。
3月頃が旬です。5月~6月は産卵を迎えるので身しょうが柔らかになる 


No55 鳥貝

     

産地東北から東海、九州と南の方に多い。 むき身もこの時期多く入荷され、良く出回っております。 選ぶときは、身の厚いもの。 旬は4月~6月頃(春と秋に産卵する)
扱い方トリ貝のむき方は大変難しい 表面の黒いものをとばさないように、丁寧に扱うこと 色が飛ばないように、網の杓子に鳥貝をのせ、 熱湯に酢を入れさっとくぐらせる
タネには足の部分が使われる 甘みがあり、独特の歯ごたえが好まれています 昔は貝の先端を切って用いた 活鳥貝はどっしりと重みがあるものを選ぶこと


NO56 蛤(ハマグリ)と価格

     

昭和34年江戸(東京)の某すし店の価格
はまぐり・こはだ・げそ・青やぎ・平貝・鳥貝・さば  各20円
しゃこ・ひらめ・かんぱち・もんこういか・赤身まぐろ 各30円
たい・赤貝                     各40円
とろまぐろ・かっぱ巻・あわび            各50円
鉄火巻                       各60円
その他                       時価
ちなみに当時新卒者の月給は7,000円~11,000円
この頃より10円寿司が栄えてきた。高級店の最低価格は50円であった 現在のはまぐり価格は30倍強の700円である
江戸湾(東京湾)はご存知の通り四つの主要河川が流入しており淡水の影響は大きい 江戸前の魚貝が美味であるのはこのおかげである
漁場は三つに分けられる。第一は潮干狩りで親しまれて千葉県富津・羽田・神奈川県沖
この漁場では、はまぐり・あさり・ばかがい(青やぎ)等の二枚貝 そしてアナゴ・すずき・このしろが大量に採れた。しかしながら今ははまぐりの価格は消費者泣かせである


NO5 57すし屋のお茶

     

■すし屋のお茶あがりの意味
寿司屋では煎じたばかりのお茶(番茶や煎茶に湯を注ぐ)のことを「あがり(上がり花)」と言う。
♪「娘18番茶も出花・・」
花柳界、遊郭では客が出入りする際にはお茶を出していた。一番最初に出すお茶のことを「お出花」、一番最後に出すお茶を「上がり花」
あがりは、元々、遊郭の言葉で「上がり花(あがりばな)」の略。
「お茶を挽く(茶の葉をひいて抹茶を作る。)という言葉は、客のつかいない遊女や芸者が暇を持て余していることを意味するため、遊郭では「お茶」を忌み嫌い、「客があがる」という縁起を担いで「お茶」を「あがり」と言うようになった。
■親方が「あがりだよ」と、云いつけるときは
「お客さまの、すしたべるのが終わりだよ」と云う合言葉である。
「お客さま、お帰りだよ」「もう、たべるのは済んだよ」
お変わりの二杯目のお茶を持参いたせの意味にもなる。
知識
1、すしの肴のあぶらというものは舌先に必ず残る。そこで次の味覚を得るのに、濃くて熱い茶をすこしづつ飲んで消そうというのである。
舌先にあぶら気が残る、それを消す茶も熱いのが必要のために湯のみ茶碗は大きくて厚く、熱いのが手に持っても外に伝わってこないので、二重の用を足している。
2、お茶は熱くてなくてはいけない。店によって気取って薄手の茶碗を使って熱くて手がつけられない。これはすし屋としては失格である。
3、鼻で香りをかいただけで静岡の茶所の老主人はこの茶の木のあった近くに梅の木がある、桜の木がある、と臭覚の発達ですぐ判ると云っている。茶は敏感に移り香を吸収するものだそうだ。
4、むかし江戸城にお茶汲坊主という、大名などにお茶を接待する役の男は、みんな頭をそって坊主頭であった。茶男だけが坊主頭かと云うと、茶というものは脂気を嫌う。
茶汲男がまげ(びんづけ油)を結っているとちょいと、指が頭の毛にふれる、それを知らぬまま茶器をいじる、そうすると汲んだ茶に脂気がうつるということになる。
だからお茶汲男は坊主頭にしているのである
。 5、すし屋のお茶は、色と香と味の三つが揃わねばならない。お茶自身から出るなんとも云えぬ甘味が、すしの味をを傷をつけるものである。
6、それほど茶というものは、味に関連が深い。そこですし屋ではクセのないものを使うのが一番安全いうことから静岡地方のお茶で、粉茶を多く使う。粉茶は葉茶より早く、茶自身の香と渋みを出すからである。
7、すし屋のお茶汲みは三年修行しなくてはいけないと云うほどに、むずかしいもである。


NO58 ホッキ貝

     

ホッキ貝 産地  主として東北・北海道。千葉より北の浅瀬に育つから北寄貝と書く。  淡水の入り込まない内湾の砂地に育つ。
旬  夏が禁漁期になるほかは、一年中を通して入手出来る。  特に冬から春にかけて味がよい。
湯霜  ①生のままだと。先端が黒っぽい色をしているが、これを、ちょっと湯ぶりに   すると、きれいな紅色がかった紫色にかわる。  
②ひらいて、ワタをだしたホッキ貝を目ザルに入れて、沸騰している湯の中   で、2~3回ふる。  
③色が少しうす紅色を帯びてきたところで湯から引き揚げ冷ます。  
④しばらくすると、きれいな紅色がでてくる。
煮ホッキ貝の仕込み  
①さっと煮て味付けをして使用。  
②味付けははまぐりの味付けと同様。  
③柱、ヒモも同様。


NO59 〆サバの漬け方

     

旬は9月から10月にかけて、脂がたっぷりのり、身がひときわ太くなってくる。 鮮度の落ちも早いので酢〆にすることがほとんどである 。
サバは身割れしやすいので気をつけて3枚おろしをする。腹骨のつけ根に包丁目を入れると塩や酢がサバに回りやすい。 ザルにたっぷりと上下に塩を敷き詰め1時間~1時間30分位どぶ漬けする。
その後、塩を洗い流し、水分サラシでふき取る。皮目を下にして漬けること15分
その後身を返して皮目を上に向けて15分漬ける。30分経ったら酢の回り具合を中骨の有る部分で確認する。
ザルを斜めにして酢を切る。サラシ&保鮮ペーパーで酢をふき取る。骨抜きをする。


NO60 〆鯖の砂糖と塩で締める方法

     

なぜ砂糖でしめサバができるのか?(NHK試してガッテンより)
サバをしめるそもそもの目的は、サバの表面近くの細胞にある水を抜くことです。水を抜くことで日持ちがよくなるのと同時に、サバのうまみを凝縮させて、表面に適度な歯ごたえを作り出します。
サバに塩をふると、浸透圧の関係でサバの表面に細胞の中の水が出てきます。ところがこの“仕事”は、砂糖にもできます。塩ではなく、砂糖をふっても、サバの表面に水が出てくるのです。
砂糖でしめると、しっとりした食感で、かつ美味しく仕上がる最大の理由は、塩と砂糖で分子の大きさが違うことです。砂糖は塩の分子量のおよそ6倍で、体積も大きくなります。
もともと、「分子量が小さい物質ほど、脱水作用が強い」という性質があります。塩は分子量が小さいために脱水作用が強いのですが、その小ささが災いして、細胞の中に少なからず入ってしまうという弱点も同時に持っています。
したがって、ふりすぎると塩辛くなってしまいます。
これに対して、分子量が大きい砂糖は、脱水作用こそ塩ほど強くないものの、分子が大きいために、細胞の中にはほとんど入りません。したがって、多めにふっても甘くはならず、しかも、適度に水分を残してしっとりした食感に仕上がるのです。
ミツカン酢より
最近は酢締め魚について、酸味を極力マイルドにし、弾力性のある食感と透明感を有する酢締め魚といった要望や、従来の酢締め魚の特色であった魚肉が硬く、締まった食感とは異なった新しい食感を有し、蛋白変性の少ない透明感のある酢締め魚を求める傾向がある
〆サバの場合 (魚竹寿しの例)
 ①手のひらに砂糖をのせ、サバに軽くまぶせる(塗るというイメージ)又はザルでふる
②冷蔵庫に40分置く。
  注):砂糖を流水で砂糖出ししない。
 ③サバを布巾で水分をふき取る
④今度はそのサバを砂糖と同量の塩をサバにまぶせる又はザルでふる。 
 ⑤冷蔵庫に60分置く
 ⑥もちろん塩出しはしない。
 ⑦サバを布巾で水分をふき取る(但し水で流し落と事でも可)
⑧ 酢に20分漬ける。
 ⑨酢を盆ざるに並べて、10分後に布巾で酢の水分をふき取る。
 ⑩昆布〆8時間


参考文献 渡邉信一郎著 「江戸の庶民が拓(ひら)いた食文化」

参考文献 吉野曻雄著 「鮓・鮨・すし すしの事典」

参考文献 宮尾しげを著 すし物語

参考文献 吉野曻雄著「すし技術教科書」

参考文献 篠田統著 『すしの本』